ドリコムアイ.net…高校生の進路と教育を考えるWebマガジン
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第62回

2009-10-05UP

青少年施策を考える(後編)


久田 邦明

「生涯学習と地域のリーダー」
第83回 前編 / 第84回 後編
「情報の受け手の問題」

第81回 前編 / 第82回 後編
「カフェ・バッハのこと」
第79回 前編 / 第80回 後編
「青年団が教えてくれること」

第77回 前編 / 第78回 後編

「就活こそ若者の生涯学習」

第75回 前編 / 第76回 後編
「もう一つの社会について学ぶ」

第73回 前編 / 第74回 後編
「ホワイトキャンバスの10年」

第71回 前編 / 第72回 後編

「地域社会は再生する」

第69回 前編 / 第70回 後編
「講義について考えた」

第67回 前編 / 第68回 後編
「大学をユースセンターへ」

第65回 前編 / 第66回 後編

「コミュニティビジネスの希望」

第63回 前編 / 第64回 後編
「青少年施策を考える」

第61回 前編 / 第62回 後編
「大学生はコンビニで高齢者と出会う」

第59回 前編 / 第60回 後編

「ピアサポート委員会の活動」

第57回 前編 / 第58回 後編
「子どもがいる暮らしの支援」

第55回 前編 / 第56回 後編
「若者の地元志向」

第53回 前編 / 第54回 後編

「高校生世代という捉え方」

第51回 前編 / 第52回 後編
「地域で子どもを育てるスポーツ少年団」

第49回 前編 / 第50回 後編
「子どもの貧困」

第47回 前編 / 第48回 後編

「地域の声は、届かない」

第45回 前編 / 第46回 後編
「大学は難しい」

第43回 前編 / 第44回 後編
「子どものころ、世話になった大人」

第41回 前編 / 第42回 後編

 青少年育成の行政施策も、若者の社会的自立支援ということばに象徴されるように、一人ひとりの自助努力を促す方向へすすんできた。今年7月、子ども・若者育成支援推進法が公布されたことによって、国の施策も、高度経済成長期の青少年健全育成策から、この方向へと大きく舵を切ったようにみえる。

 子ども・若者育成支援推進法では、地方自治体に向けて、子ども・若者支援地域協議会を置き、子ども・若者支援調整機関と子ども・若者指定支援機関を指定することを努力義務としている。マスコミが「ニート支援法」と呼ぶように、この分野で行政と協力してきた市民活動団体が想定されているようだ。無力化した地縁団体でなく、ミッションによって組織される市民活動団体に依拠して青少年育成をすすめようというのである。しかし、どうだろうか。個別的な課題解決を目的とする団体によって地域の子どもや若者が育つものか。近隣社会で大人が子どもに声を掛けるといった、日常的なはたらきかけが基本だろう。

 このことを理解する市民活動団体こそ、わたしたちの社会の希望である。しかしその数は限られるだろうし、行政効率を求める行政施策の手法のもとで、どれほどのことができるのかという疑問も消せないのである。

 こんなことをあれこれ考えると、第27期東京都青少年問題協議会の意見具申「若者を社会性をもった大人に育てるための方策について ―社会の絆の回復を目指して―」(2008年11月)が注目される。

 ここでは、個人の自立ではなく、社会が人々を阻害しない状態(社会的包摂性)の回復を提案する。「若者の自立支援」から「社会の自立支援」への視点の転換を求めているのである。

 起草委員に宮台真司が加わっている。ベストセラーの『日本の難点』(幻冬舎新書)を意見具申の解説書として読むこともできるだろう。宮台は、「国土保全」(柳田國男)という伝統的な精神性に依拠しつつ、「感染的模倣」という人格的影響力による人々の結びつきによって、「共同体的自己決定」の条件づくりを提案する。理念的な市民像によって構成される社会ではなく、「相互扶助メカニズムゆえに包摂的な社会」を追求しようというのである。

 ただ、意見具申の冒頭部分に宮台語録(?)があふれかえっているものの、他の委員が執筆する行政施策の整理や提案のところに目新しい記述はみられない。宮台にはそこまで付き合う気はないのだろう。今後は、子ども・若者育成支援推進法を拠りどころとしつつ、個人の自立ではなく、一人ひとりを支える中間団体の組織化を考える必要があるのではないだろうか。



久田 邦明
ひさだ くにあき

首都圏の複数の大学で講義を担当している。専門は青少年教育・地域文化論。この数年、全国各地を訪ねて地域活動の担い手に話を聞く。急速にすすむ市場化によって地域社会は大きく変貌している。しかし、生活共同体としての地域社会の記憶は、意外にしぶとく生き残っている。それを糸口に、復古主義とは異なる方向で、近未来社会の展望を探り出すことが可能ではないかと考えている。このコラムでは、子どもから高齢者まで幅広い世代とのあいだの〈世間話〉を糸口に、この時代を考察する。